まつこみ~岡山のんびりつぶやきブログ~

おいしいものを食べたり、綺麗なものを撮ったり。

2018年7月西日本豪雨を振り返る。

大規模な被害があった2018年7月豪雨から、4ヶ月以上経ちました。
私事ですが、真備町に住んでちょうど3年を迎える、結婚記念日が2018年7月7日でした。

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真備町在住で感じたあの日感じたこと、そしてそのあとのことを、記録として今回書こうと思います。
被災してない私の目線からの記録になりますので、そこはご了承下さい。


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私は10年以上勤めた会社を6月末で退職し、2018年7月からは無職でした。

1ヶ月はのんびりしようかな、と思っていた矢先でしたね。

大雨がずっと続き、自宅の裏側がすぐ山のため、土砂崩れがあったら危ないよなぁと思いつつ7月6日は自宅で待機してました。

このとき、もっと危機を感じて備えをしておけばよかったと後悔しています。


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雨もいつかやむだろう、コンビニも徒歩10分、車で10分以内にスーパーもあるから雨が落ち着いたら買い物に行こうとは思ってました。けど、7月6日もずーっとやみませんでした。

夫は仕事で朝から出掛けたため、自宅に1人でした。もしかしたら帰れないかも、と言われてました。

夫には
むやみに出歩かない
でも危険を感じたらすぐ避難すること
避難したらどこにいるか連絡すること
貴重品はまとめておいて避難用意をしておくこと
と言われてました。

避難用に貴重品(印鑑、通帳、住宅保険関係の書類など)や着替え、タオル、モバイルバッテリーなど、最低限はかばんにまとめて自宅待機してました。

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そして、22時。
真備地区全体に避難勧告が発令されました。

このとき、避難するかすごく悩みました。

避難場所の岡田小学校でさえ自宅から約8kmで車で20分。

真備町全体が避難したら収容できない、おそらく渋滞している、避難するときに国道が水に浸かったら、などを考えると今から避難するのは逆に危険だと思いました。

下記が真備と船穂のハザードマップになります。
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私は真備町の西側、矢掛側に住んでいます。

このハザードマップから、東側の方が浸水が広範囲になることを知っていました。
高梁川小田川が合流する地点に近い方に逃げるのは危ない。

このハザードマップではギリギリ自宅までは浸水しない、そして我が家は少し高台にあるので、とりあえず、自宅待機を決めました。

実はハザードマップはこのときしまいこんで見てないのですが
配布されたときに、夫とよく見て確認してたので頭のなかに記憶してました。

23時過ぎ、心配してくれた母から電話がかかってきて、近況をずっと電話で話してました。

そして、23時30分ごろ。
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画像はTwitterより。

家が大きく揺れ、地震か!?
土砂崩れか!?
と思って、すぐ電話を切って家を飛び出しました。

けど何も自宅周辺はかわりなく。

わからなかったので、スマホで必死で調べました。
そして、Twitterで情報を得ることができました。
総社市下原のアルミ工場が爆発したとのこと。

避難場所となった岡田小学校の窓ガラスもこの影響で割れたそうです。

もう東側には逃げれない、真備町の避難場所ですら危ないと思いました。

そして、このあとすぐ夫から電話がかかってきました。

今からなんとかして帰るけど、どこの道から帰ろうか、という内容でした。

いや、真備町は危ない、しかも帰り道も土砂崩れしている可能性があるよ、と私は言いましたが、夫は家と私のことを心配して無理して帰ってきてくれました

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おそらく南から帰宅する安全ルートは、
倉敷大橋から二万橋を通るルートでした。

このルートで通ってきたらなんとか帰れたのですが、ちょうど二万橋も通行止めになるところで間一髪でくぐり抜けて帰ってこれたそうです…


7月7日未明、すでに決壊が始まっていたのです。
ずっと夫と電話してたのですが、消防車やパトカーなどのサイレンの音がすごかったのを覚えています。

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この時間にようやく夫が帰ってきました

でも、寝れません。水は近くまで来ています。

またエリアメールが鳴りました。
本当に恐怖でした…

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とうとう私の住んでいる地域(小田川の北側)も避難指示が発令されました。

家を飛び出したら、近所の人が家を回って声かけをしてました。

家が高いところにあるから、自宅におった方がいいよ、と近所のかたに言われたので戻りました。

明け方をうつらうつらしていたら、停電が起こりました。多分4時過ぎだったと思います。

すぐ電気は戻りましたが、夫のスマホ(au)が使えなくなりました。家のインターネットも使えなくなりました。
おそらくこのとき、電波棟が浸水したようです。

私はdocomoだったので、問題なかったです。

元から夫婦別々で、結婚したからといって揃える必要もないよね、もし何かあったとき同じキャリアだとどっちも使えなくなって困るから別々だと逆にいいかもしれない、という理由でした。

これが本当に役に立った…

唯一情報を得られるのは私のスマホとテレビだけになりました。

明け方、明るくなって窓から見えてきた惨状に言葉を失いました。

我が家から50メートルのところまで水がきていました。泥水の海で浸かっていました…

あの水がこのラインまできたら、山に逃げようと夫と決めて、私は寝ずに見張っていました。夫は疲れて仮眠してました。

もう雨が降らないで、と願いました。

そして朝7時頃、最後の豪雨が過ぎ去るのを待ってから、私も意識を失ったかのように眠ったと思います。

2時間後目を覚ましたら、友人と家族からたくさんスマホに連絡が入ってました。

みんなに我が家は浸水してないから大丈夫だよ、とLINEで連絡しました。

私の住んでいる地区はお昼12時ころが水のピークだったとおもいます。
山から水も勢いよく流れて、川からは水が溢れていて、いつ水がひくんだろう、と不安に思いました。

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自宅のすぐ近くです。

そして、お昼に慌ててご飯を炊いたり、連絡をとっていたら、夕方水道の水が止まりました。

水をため忘れていました。
痛恨のミスです。
食材も買い物ができてなかったので、ほぼありません。

結婚記念日の夜はチャーハンを作りました。
本当はディナーを予約してましたが、この日の朝キャンセルしました…

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翌日7月8日の夕方の写真です。

水がひいたので自転車で周辺を散策しました。
道が陥没しており、国道486号は通行止めになっていました。

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電信柱も大きく傾いて、道も泥まみれです。
この日はかなり晴れましたが、それでも渇ききらず、若干異臭もしました。

そして7月8日の夜、お風呂を解放してくれている施設を見つけて、なんとか玉島へ抜けれました。
お風呂にはいって、あったかい晩御飯を食べれて、涙が出るほどほっとしました。



今回の私の教訓
食糧を備蓄しておくこと。
水をためておくこと。

よかったこと
スマホのキャリアが夫と違ったので、私のスマホが使えて情報を得たり連絡がとれたこと。
ハザードマップをよく見ていたので、危険箇所が頭のなかにあったこと



私は他の人に比べると苦労はしていません。被害もあっていません。もっと大変だったかたたちが、真備町にも他にもたくさんおられます。犠牲になったかたもたくさんおられます。

なにかできることをしたい。と思いました。
ただ私は体力がなく、そのあとすぐ風邪で寝込んだりして泥かきなどの手伝いができませんでした。

他にもできることがあなたにはあるよ、無理したら倒れるよと母に言われて大人しく家で泣きながら寝てました。しばらくストレスからか風邪の後遺症でなのか、耳の聴こえが悪くなったりもしました。でも1ヶ月して治りました。仕事も始めました。

あれから4ヶ月経ちました。

道もきれいになりました。災害ごみも少なくなってきました。

少しずつですが、真備町は復興へむかってます。でも、まだまだその歩みは遅いです。苦しい気持ちの人、困っている人がたくさんいます。少しでもその手助けとなれればと、微力ながらもTwitterで情報を発信したりしています。

もともと食べるのが大好きなので引き続きグルメログは続けていきますが、大好きな真備町のことも今後は記録できたらいいなとおもっています。

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ぞえさんに私、まつこを描いていただきました!

実物の100倍かわいいです

猫ちゃんのモデルは倉敷美観地区ヒョウ猫の森の猫ちゃんです!
猫ちゃんかわいいです